「面倒見の良い大学」とは?
大学案内の頻出用語に「面倒味の良い大学」という言葉があります。週刊誌や受験雑誌の大学ランキングでも、このキーワードをよく見かけます。いったいこの「面倒味の良さ」とはどういうことなのでしょうか。子どもでもあるまいし、大学生にもなって面倒見が良いとはどういうこと?と保護者にしてみれば、ピンとこないのではないでしょうか。
この面倒見の良さは、幅広い意味合いで使われていると同時に、今の大学選びの最重要キーワードといっていいかもしれません。
たとえば、「教員1人あたりの学生数」を面倒見の良さとして挙げる大学があります。国立大学や学生数が少ない単科大学、小規模な私立大学などでは、教員あたりの学生数は10人前後になります。それが、マンモス大学になると20人、30人、なかには、40人を超える大学もあります。
教員1人あたりが受け持つ学生数が少なければ少ないほど、学生と教員の距離が近く、質問に丁寧に応じられ、きめ細かなフォローができるというのです。もちろん、そんな形の授業であれば、学問への理解も深まりますから、当然大学4年間の成長度も違ってくるでしょう。この教員1人あたりの学生数は、海外でも「教育の質」を表すスタンダードな指針として用いられています。
学生数が少なければ、教員との距離も近いというのは、職員との関係でも同様にとらえられます。履修登録などのさまざまな届出をはじめ、学生生活においての相談など、職員はあらゆる学生と接しています。
小規模大学では、職員が学生一人ひとりの顔を覚えるほどに近く、アットホームであることを打ち出す大学もあります。教員との距離が近いというのも同様に、職員との距離も近ければ、さまざまな意味で目がゆき届きますし、指導も包括的なものとなります。
あいさつや身だしなみといった、家庭教育の範疇では?と思うような礼儀作法まで指導する大学もあります。実際、いろいろな大学に行ってキャンパスにいる大学生にあいさつしてまわると、あたり前のようにあいさつを返してくれる大学もありますし、まるで知らんぷりという大学もあります。
気持ちのいいあいさつを交わす風土がすベからく学生の質を上げると一概にいえませんが、就職活動の面接などでプラスに働くのはいうまでもなく、また社会生活を送っていく上でも大きな財産となるに違いありません。
「スムーズに社会人に移行させる」のが現代の大学の役割
あいさつをはじめとした社会人基礎力や職業観を意識させるキャリア教育に力を入れているのが「面倒見の良さ」などといわれると、大学に対して古いイメージをもっている年代にとっては、正直なところ大変な驚きです。
大学は学問する場であって、それではまるで「職業人養成所ではないか?」「自立するために行く大学で、面倒見の良さとは、大学も落ちた!」と、中には、そんな感想をもたれる親御さんもいます。
しかし、ここは否定的に考えずに、大学がこういったことに力を入れているのは、時代が、あるいは、社会が求めている結果でもあるということで、しっかり理解したいところです。
前述したように、企業や社会からの新卒社員に対する要望、あるいは、ニートやフリーターの増加といった社会問題ともリンクして、大学には、高校卒業後から社会へ出てスムーズに適応していくための教育を提供することが重要な役割として掲げられてきたのです。
ましてや、大学進学率が50%を超えた今、ほとんどの学生は大学を4年で卒業し、就職するわけです。となると、大学の役割は研究者を養成することよりも、むしろ教養教育にウエイトを置かれ、将来、社会を支えていく人材育成という役割を重要視しなければならなくなっているわけです。
世間知らずの高校生に大学教育を施し、どこに出しても恥ずかしくない社会人に育てる、いわずもがな大学教育は高等教育でなければなりません。ただ聴いているだけの講義では、大学の学問は身につきません。子どもが自転車を乗れるようになるのと一緒で、乗り方を教え、それを繰り返し訓練していかなければなりません。そのためには、「面倒見の良い」教育のしくみが必要とされるのは当然ともいえるでしょう。
そもそも「面倒見の良い教育」というのは、実に抽象的な言葉ですし、客観的評価として判断できる基準はありません。大学案内などでもいろいろな意味で用いられています。中には多くのデータを用いてプログラムを構築し、生活面から学習面まで手厚くサポートできる体制で臨む大学もあります。
それでも、あいさつや積極的に考えることはある程度家庭でサポートできるものだけに、どこまで面倒見の良い大学とするかは、それぞれの家庭の価値観で判断するしかありません。そのためにも、大学案内を取り寄せ、大学説明会、オープンキャンパスに参加することをお勧めします。