肩書で大学に行くなんてもったいない! 何かを学ぼうという意欲が大切!

大学で人を見る悪癖

大学のランク付けには、偏差値や高校までの成績といったそれなりの裏付けがあるのだろうが、それで人のすべてを語れるわけではない。

しかし、大学で人を判断する人が実に多い。ネット上にもMARCH(明治、青山、立教、中央、法政)は、「頭がいい」とカテゴライズされるが、日東駒専をそう評価する人はまずない。ましてや、偏差値でそれ以下に属する大学は行く意味すらないといった意見が跋扈している。

実にレベルの低い意見だが、場末の酒場で60歳を過ぎたおじさんたちが、「誰々はあれでも慶應を出ているから侮れない」、「かくいう私は明治だが、第1希望は早稲田だった」などと、18歳時の学力自慢を酒の肴にしている光景を目にしたりする。なんとも寂しい話だが、その類の話は酒場だけにとどまらない。

18歳時代の学力を超えられない経歴?

ある財閥系企業の現役組がグループ企業のOBたちを招いて、財閥グループの強みについて学ぼうという懇親会に立ち会った時のことだ。70〜80歳を過ぎたOBが、「私は昭和40年に東京大学を、慶應義塾を、早稲田を…」と、18歳で入学した大学の名を枕に自己紹介を始めた。お歴々は、傍系の銀行や商社でさぞかし活躍したのだろうが、それよりも出身大学が自らを雄弁に物語るとでもいうのか、自慢げに語るその姿に一抹の寂しさを感ぜずにはいられなかった。出身大学を超える輝かしい経歴はないのか?

大学で何を学び、それがいかなる礎になったかを語るべき

出身大学を枕にするのがいけないというのではない。経歴として語るなら、大学で何を学び、かれを研究し、それが企業での活躍にどう結びついたのかを語るのが、こうした場での自己紹介というものではないだろうか。

OBとして招かれるお歴々だから、それぞれにグループ企業で輝かしき功績があるに違いない。実際、後輩たちの挨拶の中で、OBたちの仕事っぷり、武勇伝が語られた。しかし、彼らが自己紹介で口にした大学で何をしたのかは全く不明のまま。語るほどの学問を修めていない、そう考えでもしなかったらとても納得できない一幕であった。

箔をつけるために大学に行くのではない

彼らにとって大学は、それがなければ権威を表せられない葵御紋の印籠。それだけのものでしかないのだ。実にもったいない。彼らの出た大学には素晴らしい教授人が揃い、研究施設も整っていたに違いない。

よく耳にするのが、受験でエネルギーを使い果たし、大学ではまったく勉強をしなかったという、笑うに笑えないお粗末話。しかし、それでも、ブランド大学は許されるのだから、世の中の評価のありようはいい加減なものと言わざるを得ない。

その一方で、高校まではお勉強が苦手だったけど、好きなこと、興味のあることを自分で選択して学べる大学は、やりがい、やる気に満ちているから頑張るぞと張り切る若者もいる。

ところが、ブランド大学信奉者たちは、そんな前向きな若者に口さがないことをいう。
「今までできなかったのが、大学でできるようになるなんてあり得ない。たとえ、頑張ったとしても偏差値の低い大学なんかに行ったって、どこの企業も見向きもしてくれないさ」
そんな冷や水を浴びせる人たちにひと言言い返したい。
「大学は就職のための職業訓練校ではありません」

これが大学で学ぶということだ!

つい最近も人気テレビ番組で、ある国立大学の教授が、受験時に実は偏差値35。それでもなんとか大学に入って、そこで昆虫学に目覚め、研究を重ねた結果、世界的に権威のある研究者になったというサクセスストーリーが紹介されていた。

その教授もまた、大学に入って2年間は、遊びに夢中になって学問は疎かになっていたと告白するが、3年になった時に昆虫学に触れ、世の中にはこんなに面白い世界があったんだと衝撃を受け、研究に没頭。卒業後、研究職にはつけなかったものの、職場でことあるごとに自分の研究を生かしたい、生かさせてほしいと猛烈にアピール。やがて、仕事への取り組み姿勢が評価されるようになると、彼のアピールに耳を傾ける者が1人、2人と増え、彼の大学での学びを生かせるようになり、研究者としての道筋が出来上がったという。

大学にはそんな逸話がいくつもある。これから先、そのいくつかを当サイトで紹介していきたい。

 

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