大学で何かを学ぼうという意欲が大切!

その人となりではなく、出身大学で人を見る悪習慣

大学のランク付けには、偏差値や高校までの成績といったそれなりの裏付けがあるのだろうが、それで人のすべてを語れるわけではない。しかし、在籍、あるいは出身大学で人を判断する人が実に多い。関東であれば、東大、早稲田に慶応、そしてGMARCH(学習院、明治、青山、立教、中央、法政)は、「高学歴」と位置づけて高く評価する傾向にある。

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実にレベルの低い話だが、公のテレビなどでも、そう表現してはばからない。なんとも寂しい話だが、事実、大学を卒業して10年になろうと、20年になろうと、いつまでも18歳時の栄光を自慢をしている人が多い。

出身大学を自慢するのがいけないというのではない。大学で何を学び、それを生かしたか、あるいはそれがいかなる礎となったかが評価されるべきところを、偏差値の高い大学に合格したことにスポットを当てて高評価する、評価されたいという考えは何ともおかしい。

高校までは勉強が苦手だったけど、好きなこと、興味のあることで学べる大学に誇りを持つ若者もいる。ところが、ブランド大学信奉者たちは、偏差値の低い大学の学生を一流企業、一流人は見向きもしないと言い放つ。しかし、「大学は就職のための職業訓練校ではない」ということだ。

何よりも自分がやりたいことに出会うための大学選びをすることが、いうまでもなく自分のためになるのだ。世間の評価なんかは気に留める必要はまったくない。

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