多様性の時代だからこその大学選び

2020(2021年)東京オリンピックが語ってくれたこと

コロナ過で行われた東京オリンピック・パラリンピック。開催には賛否両論あったものの、いざ競技が始まると世界規模の平和の祭典に酔いしれたのではないだろうか。やはりこうしたイベントは人々の心を癒してくれるのだと確信させられた夏の一コマだった。

とりわけ、障害をものともせずに記録に挑戦するパラアスリートの姿に勇気をもらったという人が多いのではないだろうか。どの競技も人間の可能性に際限のないことを知らしめるに充分の白熱ぶりだった。

選手の後ろには多くの人々がいる

東京オリンピック・パラリンピックを通してもう一つのことに気付かされた。それは選手を支える周りの人々の情熱だ。トレーニング・メニューを考える人、栄養を考える人、フィジカル面をサポートする人、道具を作る人、道具を調整する人、記録をつける人など、選手一人に数十人単位の人々が支えていることを発見した。

スポーツ音痴もオリンピックを目指せる!

中学、高校とスポーツに打ち込み、人より努力したこともあったが、自らの限界を自ら認め、好きだった競技を諦めてしまったが、選手の支援という視点に立てば何かしら進む道があったのではと、今更ながら考え込んでしまった。

つまり、スポーツに接するのは、競技者としてだけではなく、選手をサポートする立場として目指すことができるということだ。そうなると選択肢はたくさんある。監督、コーチ、トレーナー、伴走者、介助、栄養管理士、シェフ、スポーツ用義肢装具士、保健士、スポーツドクター、グラウンド整備、コンシェルジェ、ガイド、通訳と例をあげたら枚挙にいとまがない。

多角的な目で大学を選ぶ

大学選びもまた同じで、法律家になれなくとも、それを支えるパラリーガルという仕事もあれば、司法書士、行政書士として活躍する道もある。また、医師になれなくとも医薬品で支える、看護師として支える、医療事務といった仕事もある。

そういった原点に立つと、やはり、大学は偏差値で選ぶのではなく、自分の夢を実現できる大学・学部を選ぶことが大事だということがはっきりする。受験生にとってこの夏の祭典が原点回帰となり、発奮材料になれば、こんないいことはない。

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