大学の選び方の基本

頑張っている大学を見抜く目を養おう

企業を見ても活気あふれる会社は将来性が期待できますが、社員にやる気がなく、雰囲気が暗い会社では将来性を感じ取ることはできないのではないでしょうか。

大学もそういう目で見る必要があります。その大学に通う学生に活気が感じられ、また、職員や教員もはつらつとっしている大学こそ、がんばっている大学です。

また、歴史の浅い小さな会社は小回りも利き、時代に敏感に順応できますが、組織が大きくなればなるほど小回りがきかなくなり、改革しようと思ってもなかなか難しいというのが現状です。

大学も同様で、組織的な連携がうまくいかない組織であれば、受験生や学生に共感を得ることができずに厳しい運営状況から脱出できない、そうした大学は少なくありません。

とくに、教員と職員の間には意識の差があり、足並みがそろわないとの嘆きもよく耳にします。「象牙の塔」とはよくいったもので、教員と職員の間には危機感に明らかな差があるというのです。

職員は入試や就職支援という立場で学生や保護者、そして、企業とよく接していますから、世間の評価を敏感に感じ取っていますが、研究者である教員は、学生集めや人気とりは職員がやる仕事と思っている傾向にあるといわれています。

社会がどんどん変わっている時代ですから、大学も変わっていかなければならないわけですが、そのためには、職員も教員も協力して「教員や職員の協働」で大学の教育や評判をあげていかなくてはならないのです。そういった意味では、教員と職員の壁を取り払い、内部の意識改革に成功している大学が、新しい取り組みをどんどん取り入れている大学といえるでしょう。

教員や職員が協力してがんばっている大学かどうか、これも偏差値やブランドでは計り知れません。ブランドでとりあえず学生が集まっているから危機感がないということもあります。過去に定評があった学部・学科ほど、その名前にあぐらをかいて改革に非積極的ということがあるものです。新しい大学、あるいは学部・学科だからこそ、評判をあげるために、職員も教員も熱心に取り組んでいるという大学もあります。

現在は受験生の保護者の時代ほど大学の名前やブランドが通用する時代ではありません。そう考えれば、お子さんが4年間過ごして「ためになる」大学はどこなのか。学生のために職員も教員も頑張っている大学、そういう視点で大学を見てみていただきたいものです。

教員が教育熱心とは限らない、大学の不思議

変わろうとする大学がよく言葉にするのが、大学の教員は「研究者」であるが、「教育者」ではないという大学の本質的な問題です。たしかに、大学の教員は、ある分野の専門家として、講義を受け持ち、研究活動を行っています。しかし、小中学や高校の教師のように教育者のプロではありません。つまり、研究活動には熱心だが、こと教育となると「専門外」となってしまうわけです。

たとえば、大学の新しい取り組みとして、「初年次教育」や「基礎ゼミ」が行われています。これは、大学と高校の勉強はどこがどう違うからはじまって、レポートの書き方や図書館での文献検索のしかた、議論のしかたなど、いわば大学での勉強しかた、研究の進め方を教えるというもので、多くの大学で取り入れられています。こうした授業は、先生方がひっぱり出されることになるわけですが、先生方にとってはまさしく専門外の授業で、必ずしも積極的でない先生方もいるわけです。先生方が消極的では、コマ数もそれほど多くは設けられませんし、新しい試みを取り入れようというかけ声ばかりで、尻すぼみとならざるを得ません。

また、このところ学部教育は教養教育にウエイトが置かれ、専門教育はその上の大学院でという傾向があります。こうした流れを踏まえると、学部教育の現場では、学問の基礎や面白さを伝えられる先生、つまり「研究熱心な先生」より「教育熱心な先生」が求められますし、もっと増えるべきという指摘もあります。

保護者のみなさんもそうでしょうが、これまでの大学の授業に果たして「面白い」授業などというものがあったとお思いでしょうか。どこの大学にも、学生の人気を集める看板教授はいましたが、それは特別な授業だけで、ほとんどが、あまり面白味のないものだったのではないでしょうか。

そもそも大学の先生というのは、ある意味、社会からすれば「変人」。学生の人気をとろうとか、授業を楽しくやろうというようなことは考えたこともない、それが一般的な大学教員像です。

しかし、そうした先生たちも安穏としていられない取り組みが多くの大学で始まっています。それはFD(ファカルティ・ディベロップメント)といわれる取り組みで、学生による授業評価や、教員相互の授業参観などを取り入れ、より魅力的な授業にしていこうという試みです。学生に授業内容を評価されるのですから、先生も大変です。

これも保護者の時代からいえば、考えられないことでしょうが、学生からすれば、より魅力的な授業をしてもらえることになるのですから、こんなにモチベーションの上がることはありません。「教育熱心な教員が多いかどうか」、「魅力的な授業が行われているかどうか」、そんな視点からも大学を見ておきたいところです。

大学で身につけるべき力とは?

「実践力を備えた人材育成」、「社会のニーズに応える人材育成」、「実社会で活躍できる人材育成」、「問題解決を図れる人材育成」といったキーワードが羅列された大学案内もよく見かけます。わかりやすくいえば、「社会で使える人材」「企業で使える人材」を育成するということになるのですが、保護者からすれば、学問の場であるはずの大学が、なぜ、そろいもそろって「実践力」、「問題解決」といった文句を並べたてるのか不思議に思われるでしょう。それは、社会からの要請に大学が応えているということでもあるのです。

こうしたキーワードを大学が訴えるようになったのは、ここ5~6年ぐらいのことでしょう。これを産業界と並べてみるとよくわかります。2000年に入ってから、フリーターやニートが社会問題となるのと時を同じくして、大学を卒業して入社してくる新入社員たちの評価が低下。「最近の新人はマナーを知らない」、「ほかの社員と協力してものごとにあたろうとしない」、「ちょっと怒られると、すぐ辞める」と企業人事が頭を痛め、「新入社員の3割が3年以内に辞める」とも言われはじめた時期にもあたります。

そうした事態を招いている一因に企業が教育する体力をなくしているというのがあるでしょうが、そうした状況を改善すべく経済産業省は、2006年、仕事をしていく上で必要とされる基礎的な能力を示す「社会人基礎力」なるものを定め、社会に出る前の人材教育機関である大学にも、こうした社会人基礎力を教育することを求めました。これがどんなものかというと、「前に踏み出す力」「チームで動く力」「考え抜く力」の3項目で構成され、それぞれの力をつけるための教育をしなさいというものです。

大学に求めるには少々幼い教育にも思えますが、各大学とも社会からの要請ととらえ、社会人基礎力を育成するための教育的しくみを導入。ゼミナール形式の授業として少人数の学生による議論主体で授業を進め、社会の求める社会人教育に勤しんでいます。

中には、グループ単位で課題を与え、問題解決を図るという取り組みもあります。個人ではなく、複数で課題に取り組むことで、社会人基礎力にいうところのチームワーク力を高めようという試みです。さらに、これを発展させて、企業とタイアップして共同で商品開発にあたるといった取り組みを行っている大学もあります。それにしても大学生が自分の意見を主張したり、他人の意見に耳を傾ける力を大学で養おうということ自体幼いような気がします。しかし、それも大学の実態なのです。

 

 

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