小泉進次郎氏に学ぶ「偏差値50以下の大学」から「世界有数のブランド大学」にステップアップする技? 「総合型選抜」を有効活用しよう!

小泉氏の出身大学は、実は偏差値50以下

週刊新潮(2021年8月12・19号)に小泉進次郎氏のコロンビア大学入学問題についての記事が掲載された。小泉進次郎議員は神奈川県横浜市金沢区にある偏差値50以下の関東学院大学出身。偏差値ですべてが推し量れるわけではないし、進次郎氏の人間力が人を惹きつけ、衆院議員に選ばれたのだろうから異論を挟む余地はないのだが、偏差値50以下の大学は正直、政治家として少し物足りなさを感じさせるのは否めない。それは父・小泉純一郎元総理の息子として政治家を標榜していた進次郎氏自身も感じていたのだろう。海外の大学院卒という、いわゆる肩書の上乗せを図ったというのがこの記事の趣旨のようだ。

世界大学ランキング17位のコロンビア大学で箔をつける

コロンビア大学といえば、ハーバード大学をはじめとしたアイビーリーグをなすアメリカ有数の大学。日本でもお馴染みの大学名で、かつて故・野村克也氏の妻・野村沙知代夫人が参院選に出馬した折、コロンビア大学卒を詐称して出馬。事前に発覚したため、出馬は取りやめとなったが、ワイドショーの格好の餌食となったいわく付きの大学。

さて、アメリカに偏差値という言葉があるかどうかは別として、コロンビア大学のレベルは日本の東大以上といわれている。週刊新潮の記事によると、わが国の大学の最高峰といわれる東大は世界大学ランキング36位。それに対してコロンビア大学は17位というから、受験生にとっては、文字通り高嶺の花的存在の大学。当然、大学院には世界のトップ頭脳が集まってくる。そこに偏差値50以下の関東学院卒業生が入学するのは並大抵のことではない。どうしたって当時総理大臣であった父の力添えを考えてしまうというのが記事の趣旨。

筆記に自信がないなら「総合型選抜」で自己アピールを

週刊新潮の記事の趣旨はともかく、こういった話は昔からよく耳にするところで、コロンビア大学に限らず、有名大学には疑惑の入学生が少なからずや存在する。決して小泉進次郎氏が特別なわけではない。

そもそも今の大学が、筆記試験一本槍で入学者を選抜しているわけではない。スポーツに優れた者は、はるか昔から別口の入学が認められてきたし、推薦やAO入試といった選抜方法も、別口の入学ということになる。実際、筆記試験ではとても入れそうにない人が「推薦」や「総合型選抜」で入学を果たしているケースは少なくない。

筆記で入学を果たした者からすれば、アンフェアな感じはする。実際、アイドルタレントが芸能活動を盾に総合型選抜で入学したのに、筆記派と同じように頭脳明晰タレントとして名を連ねる姿に異論を挟む人も数多い。しかし、それでも有名大学出身という肩書が一生ついて回るのだから、筆記に自信がなければ、総合型選抜を考えることを大いに勧めたい。

大学は本当に学生の「人間力」を見抜けるのか?

暗記力や大学ブランドでは、これからのグローバル化時代を乗り越えていくのは困難。そこで総意と工夫にあふれる人間力旺盛な若者を見出し、世界で通用する人間に育てていこうというのが、総合型選抜試験が設けられたそもそもの狙い。極論かも知れないが、芸能だろうがスポーツだろうが、もっといえば、趣味でもバイトでも、自分でそこに将来を感じさせる理屈をつけられる能力があれば入学を認めるという試験。

例えば、鍛錬を重ねて獲得したスポーツ能力や演劇などで養った表現力は、ある意味では暗記力より上にランク付けされたっていいくらいなのかもしれない。それはボランティア活動や勤労で養った社会力も同様で、高校生がそれまでの経験を体系づけるために大学に行くというのはとても高尚な動機であるのは確か。大いに賞賛したい選抜法といえるだろう。

ところが、この総合型選抜試験もマニュアル化が始まっており、大学が喜ぶ解答例などが巷に溢れ出している。そこに多くの受験生が集まるのは充分理解できる。そうしたマニュアルを身につけることも人間力を高めるいい機会であることは間違いないだろう。しかし、それでは本来の総合型選抜試験の目的から逸脱している気がするのは私だけではないだろう。

自分の「人間力」を評価してくれる大学を探そう

それでも、短時間で数値化しづらい人間力を見極めるのは確かに難しいだろう。マニュアル化された人間を選抜する方が選ぶ側は楽なのだ。名のある大学ほど、そもそもの総合型選抜の狙いが機能してない節もある。せっかく、人間力で評価する入試を導入しているのに、マニュアルとして身につけた金太郎飴のような回答を見逃していたのでは、その大学の未来を案ぜずにはいられない。

ブランドに頼るマニュアル人間が世界で戦えるわけもなく、日本の未来は実に心許ない。そんな日本の不安を払拭してくれるのが、ブランドに頼らない大学だ。口さがない向きは、頼れるブランドのない大学と揶揄するが、その分、生き残りに必死だからこそ、世界を標榜した教育を徹底しているのだ。たとえ筆記試験は不得意でも、受験生の持てる力をしっかり見定め、グローバル時代で活躍する人材を排出する大学の力は決して見逃せない。ぜひとも、大志を抱いて門戸を叩いてほしい。

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